アウシュビッツ(オシフィエンチム)

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今回クラクフの旅の目的はアウシュビッツを訪ねることでした。
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収容所入り口の『働けば自由になれる』のスローガン。
この鉄で出来たスローガンは当時の収容者が作らされたものだそうです。写真ではちょっと分かり辛いですが、良く見ると向かって左側のEの隣のBの文字が実は逆さまなのに気が付きます。
これは、当時制作させられた収容者の反抗心によるささやかな抵抗だったそうですが、何故か最後までドイツ軍には気付かれなかったそうです。
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当時収容所だった建物がそのまま展示室として保存され、中を見学出来ます。
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これは、当時の収容者を見分ける為の印の種類。ユダヤ人以外は、政治犯や同性愛者などが服に付けたこれらの印で識別されていたそうです。
アウシュビッツ収容所は、元々政治犯の為に作られ使われていたそうですが、ユダヤ人排斥の政策が始まってからは主にユダヤ人が多く収容されるようになったということをここに来て初めて知りました。
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収容所内には膨大な数の遺品、写真、毒薬などが展示されており、ガス室内すら直接見学することが出来、驚きましたがとても写真を撮る気持ちにはなれませんでした。

今回は公式ガイドの日本人男性に案内して頂いたので、個人で廻るよりも色々な事が分かりました。
通称『アウシュビッツ』という名前はドイツ人が呼びやすくする為に付けたもので、実際は『オシフィエンチム』というのがこの土地の正式名称なのだということも、初めて知りました。
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門から続く道の脇には立派に成長した樹が。これは収容所が出来て直ぐに連行された人達が植樹したものだということも説明を聞いて知りました。
当時のドイツ軍は、収容所にもそういう美観を求めていたとは。。。なんとも矛盾を感じてしまいます。

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こちらはアウシュビッツ収容所から3kmのところにある第二収容所ビルケナウ。
あのアンネ フランクも最後を過ごした場所です。
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ここは当時、収容者用の食事を作っていた棟。
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当時、敷地内には何棟もの収容施設が建っていたのですが、後半レンガの調達もままならなくなると暖炉以外は全て木製だったそうです。その為今は暖炉とその煙突のみが残っています。
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ドイツ軍が撤退直前に爆破しきれずに残ったガス室跡。

この日は本当に良いお天気で、それが収容所の現実とのギャップとなり、同時に救いにもなりました。
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何年か前に買ったまま、結局そのままになっていた『夜と霧』を今回の旅に合わせて読みました。
当時ポーランドの収容所に収容され、その後奇跡的に生還したユダヤ人心理学者V.E.フランクルの名著ですね。
ひとがいかに置かれた環境にその精神状態を左右されてしまうか。それはユダヤ人を含む収容者達はもちろんのこと、当時のドイツ軍やその政策に反対しなかった一般市民も同じだったことがこの本から分かります。
しかし、いかに過酷な状況下であっても、そのひとの最終的な精神的自由を奪う事は誰にも出来ない、ということを著者の実体験から知ることが出来る貴重な一冊でした。
アラン レネ監督が同じく『夜と霧』のタイトルでアウシュビッツの映画を撮りましたが、アドニス キルーは「この地上に生きる全ての者はこの映画を見なければならない。そうすれば全てはもう少し良くなるだろう。」と評したそうです。

ここ数年、各国からのアウシュビッツ見学者が記録的に増え続けているとのことでした。
ヨーロッパの人達は、何故このようなことが起きてしまったのか考えることを、変わらず大切にしているようです。
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by taratsuru | 2012-06-18 03:29 | 旅(海外)